54年、愛され続ける中華飯店中華飯店 天和

No.29

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開業54年の底力!
夜中でもしっかり食事が出来る
中華飯店「天和」

金沢市の繁華街である片町オーロラビルに、知る人ぞ知る・・・と言われるお店が存在する。それが今回の取材先、「中華飯店 天和(てんほう)」さんだ。私たちが訪れた時間は夕方頃。ビル内はまだ薄暗く、お店の前に来るまで本当に営業しているのか疑うほどだった。店構え。どうした、天和!!!こんなビル内にひっそりとたたずんでいるかと思いきや めちゃくちゃ主張しているじゃないかっ。これは期待しかないぞ。わくわく。

(取材:絶メシ!いしかわ調査隊 ライター名:美緑トモハル)

朗らかな口調とは対照的。命がけで満州から引き揚げた幼少時代

ライター美緑
「こんにちは〜」
油野さん
「はいっ」
ライター美緑
「素敵なお店ですね〜!今日は色々とお話聞かせていただけたらと。よろしくお願いします!」
油野さん
「お店を始めて54年目になるんですけど、こうやって取材受けるの初めてなんです。」
ライター美緑
「え!?そうなんですか!?」
油野さん
「ええ、今まで全部お断りしてて。」
美智子さん
「あんまり取材とか好きじゃないんです。昔は忙しかったから、変な人来たら嫌やってん。お客さんにも『断って』って言われてたんです。」
ライター美緑
「そうだったんですね...実は、天和さんを取り上げてほしいってリクエストが多かったんですよ。もしかしたらここのお客さんかもしれないです。」
美智子さん
「誰やろう?天和のお母さん1番きかんって言ってなかった?(笑)」
ライター美緑
「来たメールには書いてなかったみたいですよ(笑)」

店主の油野さんは、幼少期に満州で終戦を迎え、昭和21年9月に長崎の佐世保に引き揚げてきた。引き揚げ当時、人数が多いと大変だからと、普通は多くても 2〜3人の子供以外は残してくるところを、油野さんの両親は5人の子供すべてを連れ出した。しかしそれは容易な事ではなく、引き上げた1年後には母親が亡くなってしまったという。

ライター美緑
「そうだったんですね・・・ではそこからはお父様と?」
油野さん
「そうそう。後妻さんもらってね。亡くなった母親の妹が来てくれて。」
ライター美緑
「そこからどれくらいで金沢に戻ってきたんですか?」
油野さん
「いや、すぐ戻ってきた。それで親戚のところに1年程おったかな?そこからうちの親の都合で、七尾に行って。父親は海産物を扱う仕事をしてて。そこには5年程いたかな。」

結婚からわずか1ヶ月!?中華飯店に決めてからのスピード開業!お客様あっての「天和」

ライター美緑
「幼少期に大変な経験をされてきたんですね。大人になって、なぜ飲食に携わろうと?」
油野さん
「実家の手伝いをしとってね。海産物は朝が早くて。近江町に卸す仕事で。それが、周りにスーパーなんかが出来てきてね、だんだん暇になってきて。違うことを始めないかんなと。」
ライター美緑
「なぜ中華飯店だったんですか?」
油野さん
「始めは甘党の店をやろうかとしてたんだけど、反対されて。」
ライター美緑
「反対?」
美智子さん
「うちの親戚みんなが反対。うちの実家とかおばさんとかがダメだって。ラーメンをやりなさい!って。」
ライター美緑
「なぜラーメンがいいって言ってたんですかね?」
油野さん
「あの当時、そんなお店が少なかったんです。飲んだ後に食べたくなるやろうって。」
ライター美緑
「でもそんな簡単に始められるものじゃないじゃないですか?」
油野さん
「親戚にラーメン屋の方がいて、すぐ教えてもらいに行って。1週間ほど修行して。」
ライター美緑
「短かっ!?」
美智子さん
「見た目はあんまりだったけど、味はよかってん。」
油野さん
「そう、なんか味がいいって褒められて(笑)。よく売れましたけどね。その当時、僕の作ったスルメの出汁とか工夫してて、それが評判良くて。県外からでも来てくれてた。」
美智子さん
「結構勉強はしてましたね。」
ライター美緑
「では、ご夫婦でいろんなお店を食べ歩いていたんですか?」
油野さん
「行きましたね〜。食べ歩いて。開店1ヶ月前とかはずっと行ってました。」
美智子さん
「開店前に結婚したから。」
ライター美緑
「!!またすごいタイミングで結婚しましたね・・・」
美智子さん
「2月に結婚して、3月に開店だったから・・・」
ライター美緑
「え!?ちょっと待ってください!!(汗)結婚と開店はどちらが先に決まったんですか?」
油野さん
「結婚やね。」
美智子さん
「結婚した時にまだ中華飯店をするって決まってなかってん。だから大変だったんですよ!開店の時、何にも出来ないからちょこちょこ習いに行って。でも、お客さんがいい人ばっかりだったから、全部教えてもらってん。マスター、こんなんしたらいいよ!とか。それでだんだんメニューが増えていって。本当にお客さんに支えてもらった。」

開業して54年。場所を移すことなくずっとオーロラビルで営業を続けてきた油野さん。ビル内は飲み屋さんが多いイメージがあるが、実は昔はお寿司屋さんやうどん屋さんなど飲食のお店ばかりだった。それがどんどんと減っていき、十数年たった今では、飲み屋さんの中に中華飯店があるという構図となってしまったそう。

油野さん
「結婚して、家を建てるのを諦めて、このお店に注ぎ込んだんです。ラーメンも焼き飯も70円の時代。今の10分の1ほどやね。」
そのころの大卒の初任給が26,000円ほどだったそう。時代の流れが感じられる。
油野さん
「一日の売り上げが1万円行ったらすごい忙しい。」
ライター美緑
「ラーメンだけだと100食以上は出なきゃいけないですよね。お客さんの要望でメニューが増えていったみたいですが、開店当時のメニューは結構少なかった?」
美智子さん
「今のメニューの半分ほどでしたね。」
ライター美緑
「メニューは増えても、ラーメンのスープは開店当時から同じなんですか?」
油野さん
「本当は時代によって変えたりしたいんやけど、やっぱりシンプルな中華そば1本ですね。」
ライター美緑
「変わらない味が、今ではお客さんが求める味になっているんですね。」
油野さん
「そろそろラーメンでも作りますか!?」
ライター美緑
「いいですか!?おすすめってちなみに・・・」
美智子さん
「私も最近図々しくなって、おすすめ聞かれたら『好きなもの食べなさい!』って言うようになったわ(笑)」
ライター美緑
「ではシンプルに!!ラーメンでお願いします!」
油野さん
「餃子も付けるね!!」

実は油野さんはこう見えて多趣味なのである。

結婚前には自前のヨットを持っていた。当時、ヨットは珍しく自身が取材を受けた時の新聞の切り抜きが綺麗に取ってある。航海の記事などが何枚も切り抜かれていて、中には「太平洋ひとりぼっち」という、映画の撮影の為に出演俳優である石原裕次郎さんにヨット教室を施したという記事もあった。

店内には娘さんとヨットの上での写真が飾られている。娘さんキレイ!お父さん・・・目、つむっちゃってるな。そんなことを考えているとあっという間にラーメンと餃子が目の前に現れていた。おっと。まだまだ取材中なのです!!

ライター美緑
「では早速、いっただきますっ!」

あっさりとしている醤油ベースのスープ。優しい味!昔ながらの中華麺で飲んだ後のシメに本当に最高!
餃子はビールと食べたいです・・・思わず頼んでしまうところでした ・・・危ない危ない・・・実はこの日、天和さんは2軒目の取材でしたがミロク。やりました。平らげました。この仕事を続けていくと、いつか大食い YouTuber に転身できてしまうかもしれません。・・・ごめんなさい、嘘です。でも、我ながら全て食べ切ったことに驚いたのは本当です!

ライター美緑
「ごちそうさまでした〜!美味しかった〜」
美智子さん
「良かった(笑)あっさりしてるから若い人には物足りんかも知れんけど。」

訪れた閉店危機に分かった常連さんたちの気持ち

油野さん
「なんか、ポツポツ長い間やっとって良かったね。こんな、取材に来てもらって。ありがとう。」
ライター美緑
「こちらこそ続けてくれてありがとうございます!!」
油野さん
「ラーメン作るのなんかはまだまだ勉強中やわ。」
ライター美緑
「まだまだ!?(笑)」
油野さん
「難しい。餃子はこれでもう変わらんけど、ラーメンはまだ。でも味変えたらお客さんに味変わった!って言われるしね。」
ライター美緑
「この味にお客さんがついてくれているから、そうそう変えられないですよね?」
美智子さん
「最近、若い人は「麻婆ラーメン」とか変わったの食べられるわ〜」
ライター美緑
「そうなんですか・・って・・・ちゃんとメニューにあるじゃないですか!(笑)他人事のように・・・」
美智子さん
「『四川ラーメン』とか、辛いの食べたりねぇ〜」
ライター美緑
「それもメニューにありますよね!?(笑)そりゃあ皆さん頼みますよ!」
美智子さん
「あ、そっかそっか(笑)」
ライター美緑
「お母さーん!!(笑)それぞれの味にお客さんがついてくれてるんですね〜。油野さん、まだまだラーメンの味をよくしていきたいという気持ちもあって、このお店も大事に続けられてきてたのが分かるんですけど、ご自身の味を残していきたいという思いは?」
油野さん
「いや〜ないね。」
ライター美緑
「ない!?でもお客さん、このお店が無くなったら・・・」
美智子さん
「そう。だから皆さん、辞めないでねって言ってくださいます。」
ライター美緑
「そうですよね!」

実は一度お店を閉店しようとしたことがあった。狭い厨房の中の立ち仕事で油野さんが足を痛め手術をしたのだ。それが今から7〜8年前。10か月の入院生活だったが、当時のオーナーさんが『まだまだ頑張って欲しい』と家賃を安くしてくれた。その応援もあって今も続けている。

美智子さん
「この人ね、働いて稼いでも、お金使うのがすんごく上手ねん!入院費の支払いに行くからお金貰おうとしたら、お父さん、お金ないって。どうしたん?って聞いたら使ってしまったって言って・・・」
ライター美緑
「え!?それ、何に使ったんですか?」
油野さん
「書画骨董です。」
美智子さん
「ものすごい高いもの買うんやって。」
油野さん
「趣味で集めてて。」
ライター美緑
「好きなことしているからですかね?肌艶いいですもんね!お二人とも。」
油野さん
「これみんな、餃子焼く時の油が、こう付くからかな・・・。」
ライター美緑
「えっ!!?お父さん、真剣に言ってます!?」
油野さん
「いや本当に。病院に10ヶ月ほど入っとった時はカサカサやったけど、仕事し始めたらこうなったから。」
ライター美緑
「お店帰ってきたら肌艶良くなった?」
油野さん
「ほうや。」
ライター美緑
「じゃあ、餃子の油ですね・・・」
奇しくも、お名前も油野さんですし・・・と言いかけたが、やめておいた。
美智子さん
「すんごく前向きな人ねん。この年で「歳いったら・・・歳いったら」って言うげんよ。もう歳なんに!!」
ライター美緑
「はははは(笑)まだまだ元気でいれますね。」
美智子さん
「考え方が若いんやわ〜」

文字数の関係上割愛してしまったが、骨董の話になると饒舌になる油野さん。美智子さん曰く、趣味の多さに隣で見ていると楽しくて飽きないそう。大変なこともあったと思うが、今回の取材ではそんな素振りを見せる事も無かった。「片町が一番栄えていた時にここで商売が出来てすごく良かった」好きなことに情熱を惜しまない姿勢は、この場所で長年続けているお店に対しても例外ではない。油野さんにとって、一番の趣味は「天和」さんそのものなのかもしれない。楽しい取材をありがとうございました!ますますの「天和」さんのご活躍を楽しみにしています!!

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