55年間愛されるお店石橋屋

No.30

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「お話上手」なご夫婦が営む、

学生に愛されてきたお店とは?!

いざ潜入!

雨が降る、秋。道路に打ち付ける雨音を聞きながら向かった先は石引にある金沢大学付属病院のすぐ近く。昔から学生に人気だと噂のお店『石橋屋』さん!!話し上手なお母さんがいるって事で、これはもう、行くっきゃない!!ですよね!?どんなお話が聞けるのか、わくわく、グゥグゥとお腹を鳴らして行ってきましたーっ

( 取材: 絶メシ!いしかわ調査隊 ライター名: 美緑トモハル)

ファーストインパクト大!!すぐに溶け込む人柄に、笑い声が絶えない時間。 55年間愛される秘訣とは?

ライター美緑

「こんにちわー!」

弘美さん

「あんたら誰や?何しに来たん?」

ライター美緑

「あ、今日は、取材で・・・」

弘美さん

「ん?どちら様でしたっけ??」

・・・キタキタキターー!!

はい、絶メシ調査隊、早速洗礼を受けております。文章に起こすとぶっきらぼうで冷たい雰囲気が漂うこの文字の羅列。

が、しかーーし

現場の雰囲気は、この弘美さんの言葉でドッカンドッカンと笑いが起こるのです・・・なーぜー!?それは、この後のインタビューの中でどんどんと分かっていくことでしょう…ニヤリ。

ライター美緑

「すみません、忙しい時間に。」

石橋屋は朝8時から営業している。

弘美さん

「全然忙しくないよ。」

ライター美緑

「あっ…で、では、よろしくお願いします!」

弘美さん

「えーー何聞くん?じゃあ、質問その1!!」

ライター美緑

「そ、その1!このお店を始めたのは…今年で??」

弘美さん

「今年の11月11日で55年やね。最初はスーパーの一角でやってたんやけど、30年くらい前に、ここに移転して。」

ライター美緑

「オープン当時からの常連さん、今でもいたりしますか?」

弘美さん

「おるおる。みんな立派になってるわ。」

ライター美緑

「へー!そんなに長い間お付き合いが続く常連さんが…なにか秘訣はあるんですか?」

弘美さん

「全然ない。」

(ミロク、心の声)

ないんかーーーい!!でもなんか、この短時間でのやり取りで、わかった気がする…(笑)

正三さん

「本音でただ喋るだけ。お世辞は言わんげん。」

ライター美緑

「確かに。こんなにざっくばらんに話せるお店ないですもんね(笑)」

弘美さん

「そんなこと無いわいね。みんな本音で喋っとるやろ。そんなヨイショしたって意味ないし。」

ライター美緑

「このざっくばらん感が心地いいんです。変に気を使われてないというか、なんか…」

弘美さん

「気使う必要ないもんね!?」

いや、ちょっとは…使ってほし…

弘美さん

「お金使って欲しいけど!!(笑)」

ライター美緑
「なんか…家におるみたいや…(笑)実家のお母さんと喋っとるみたいに感じてきた…。なるほど。この感覚・・・これが秘訣なのかも!?」

お店の常連さんは、ほとんどが学生時代に通っていた方たち。そして現在も美大生や医大生が多い。開店当時から座席数は20人も座れないこじんまりとしたお店だったそう。メニューを見ると「超特大」の文字が。それなのにめちゃくちゃ安い・・・。学生さんはお好み焼と焼きそばを1つずつ頼んでシェアをしていたらしいが、一人のお客さんだとそれが出来ない。そこで「満腹セット」という半々セットが設定されているのだ。優しすぎるー!!しかもこれも安い!!

ライター美緑

「メニューも多いですよね。」

弘美さん
「メニューが多いとか言うその前にね。材料費が上がってしまって、値段を少し上げたのよ。そしたら、値段が全くわからなくって(笑)」
ライター美緑

「わからない・・・?」

弘美さん

「注文も(お客さんに)書いてもらうんだけど、もう、自分の頭で覚えられないから、値段自分で計算して、自己申告で!!って。」

ライター美緑

「すごい・・・お客さんへの信頼がぶ厚い…持ちつ持たれつですね(笑)」

弘美さん

「ここ最近、80近くなると全く覚えられない!」

ライター美緑

「え!!?…今、おいくつなんですか?」

弘美さん

「昭和20年生まれやから…1945年。…計算できんでしょ?」

ライター美緑

「私もできない。」

弘美さん

「やっぱりー(笑)」

ライター美緑

「一緒やったー 。」( ←友達か!!)

正三さん

「77や。」

ライター美緑

「お父さんと同い年?」

弘美さん

「そうや。」

突然現れた王子様!?そんな二人が始めたお店は、当時はめずらしい「粉もの」だった ソースの味は、見よう見まね・・・!?

ライター美緑

「じゃあ、馴れ初めから聞いていきますか。」

弘美さん

「馴れ初めんなんてないわ!!」

ライター美緑

「(笑)触りだけ。」

弘美さん

「ナンパされたんや。」

ライター美緑

「やっぱり!」

弘美さん

「嘘や!なんや、やっぱりって!!(笑)」

弘美さんは大学時代、京都の美容学校に通っていた。学校の行き帰りで、不審な男性がウロついていた為怖くなり、通りがかった人に助けを求め、車に乗せてもらったのだ。それがなんと、今の夫・正三さんだった。

・・・出会いがロマンチックすぎる・・・

正三さんは京都の方。しかし、金沢に母親を残していた弘美さんは、家族の事もあり地元に帰りたいと相談すると、正三さんは一緒に帰ろうと快諾してくれた。

ライター美緑

「素敵ですね。なぜ、数ある食べ物の中で、お好み焼き屋さんだったんですか?」

弘美さん

「スーパーの横にお好み焼き屋さんが金沢には一軒もなかってん。大学生時代の京都には当たり前やったんに。どっこにもないから、じゃあ、私がやろうって。」

そこで色んなスーパーに電話をかけた。だが、そう簡単ではなく、断られ続けていたと言う。そんな中、近くのスーパー「マルサン」だけはクリーニング屋さんの跡地があるからそこでよければと承諾してくれたのだ。正三さんは橋場町にある洋食屋さんで働いていたため、最初は弘美さんだけで切り盛りしていた。

ライター美緑

「お店を始めようと思った時に、お好み焼きを作った経験は…?」

弘美さん

「無かった。当時、柿木畠にあったお店行って、ソースの作り方を見て、メモして。」

ライター美緑

「見て?教えてもらったんじゃなくて!?」

弘美さん

「うん(笑)で、オープンの日、すんごい列になって、びっくりして。こんなにたくさんお客さん!?って。そーっと見にきた兄嫁とかが、こりゃ大変や!って言ってみんなで手伝いに来てくれて。キャベツ切ったりタコ切ったり。」

ライター美緑

「すごい!京都時代の印象で、出してみたら、大当たりだった?」

弘美さん

「大当たりなんかね。近所のおばちゃんたちが「これ何!?」って興味津々で(笑)」

ライター美緑

「たこ焼きの存在すら。」

弘美さん

「知らない。お好み焼きも。へー、こんなんって言うて外から覗いて。」

ライター美緑

「お好み焼きやたこ焼きっていい匂いしますもんね〜。」

弘美さん

「そう。で、スーパー入っていく人が、注文してくれて。まぁ、ラッキーやったんかも。」

開店初日からお客さんの列は途絶えることがなく、当時お好み焼きが50円という値段にも関わらず現在の売り上げよりも多かったそう。一人では手に負えなくなり、正三さんにも石橋屋に来てもらう事となった。

弘美さん

「本当は、ご飯もんもやりたいから、洋食屋さん行って欲しいってことで行ってもらってたんやけど、でも、ご飯もんはできんかったね。お店が狭すぎて。」

正三さん

「でもご飯もんしたやん。」

立派に育っていった子供たち。コロナの期間で無くなった夜の学食のような営業時間。

正三さん

「医大の野球部が、晩飯食わしてって。それがコロナで全部ダメになって。」

弘美さん

「練習後にうちで食べてたから。今、練習してないからね、コロナで3年間。だから今は夜してない。」

ライター美緑

「昔は夜もしていたんですか?」

弘美さん

「野球部のためだけにやっとった(笑)だって30人もいるからほかのお客さん入れないもん。」

ライター美緑

「学食じゃないですか!」

弘美さん

「ガーって座って、この机全部くっつけて、補助椅子使って。食べたもんは立っとれー!って言ってたけどね(笑)」

ライター美緑

「コロナの期間でかなり減ったんですね。」

弘美さん

「減った減った。ここのところはちょっと戻って来たけど。授業無かったしね。」

正三さん

「今でも野球部の子らはくるよ。」

ライター美緑

「でも昔ほどではない…やっぱり昔みたいに来てほしいですよね。」

弘美さん

「そうやねー。でも、もう年やから!いつ辞めてもいいかなって。」

55年続けていると昔からの常連さんもいい年齢となってきた。孫がいる人や、中学時代に通っていたという50代の男性も懐かしいと言って顔を出すことがある。これから親子3代というケースも出て来そうだ。

ライター美緑

「お客さんとの心温まるエピソードみたいなのあったりしますか?」

弘美さん

「うーん。みんな心温まるお客さんばかりだから…。あ、でもうちの自家製のマヨネーズが食べたくて、とか、瓶に詰めて持って帰りたいとか(笑)お好み焼き冷凍で送ってくれって言われたこともあったわ。」

ライター美緑

「創業の当時と味は?」

弘美さん

「変わってない。ずっと一緒。」

ライター美緑

「守られてますね、味。最初っから見よう見まねで作って、美味しい!ってなったんですか?」

弘美さん

「なった。」

ライター美緑

「天才やん!!」

弘美さん

「やっぱり?(笑)」

22歳という若さ、しかも1歳の子がいる中でひとりお店をオープンさせた弘美さん。朝7時から夜の9時まで働き詰めだった。ご近所さんにもお世話になりながら子育てをし夜に帰って寝ようとすると、学生が家に訪ねてくる日もあった。そんな時はお風呂とご飯を提供する。本当に実家のような感覚だ。

弘美さん

「もう辞めたいなーって思うんやけど・・・。」

ライター美緑

「なぜ辞めたいという気持ちになってるんですか?」

弘美さん

「うーん…コロナからかな。そろそろ辞めたいなって。でも息子たちは「今日、お客さん1 人やったね」ってなっても、お店しとれって言う。ボケるしって(笑)」

ライター美緑

「お子さんたちに継いで欲しいとか言うのはないんですか?」

弘美さん

「いや!」

ライター美緑

「なんでですか?」

正三さん

「苦労させるのは嫌。」

弘美さん

「食べ物屋なんて全然儲からんよ、今。よっぽどじゃないと。」

正三さん

「息子は、本当はしたいって今でも言うとる。でもダメ。」

弘美さん

「絶対にさせない。今、公認会計士やっとるけど、そっちの方がよっぽどいい。」

ライター美緑

「辞めたいと言いながらも、本心では辞めたくないんでは?」

弘美さん

「なん、ボケるしや!」

学生たちに愛された自家製マヨネーズの味は、卵と玉ねぎが入ったタルタル仕様。 そして、記憶のカケラを集めながら、料理をしよう。

ライター美緑

「(そろそろお腹が空いてきた…)お母さん。このお店の1番人気のメニューは?」

弘美さん

「日替わりと、満腹セットかな。」

ライター美緑

「メニューは当時と比べて増えてますか?」

正三さん

「だんだん増えた。学生が、あれしてこれしてって言って。」

弘美さん

「そば飯は、兵庫県から来てた薬学部の子が『そば飯って知ってる?』って。知らんって言ったら、僕が教えるから作ってほしいと。」

正三さん

「そんで1ヶ月毎日そば飯食べてた。びっくりしたわ。」

ライター美緑

「そんなに!?うわー、ソバ飯にも惹かれますが・・・今日はオムソバと、日替わりと、お好み焼きの豚玉を下さい!!」

サッと厨房へ足を運ぶ弘美さん。あっと言う間に鉄板へ焼きそばが投入される。テキパキと作業を進める姿・・・やはり慣れた手つきです。・・・ん?動きが止まった・・・??

弘美さん

「あれ?何つくるんやった?」

ライター美緑

「ちょっとー!(笑)オムソバと、豚玉と、日替わりも下さい!」

弘美さん

「そうやったそうやった!!(笑)」

ジャジャーーン!!

まず出てきたのは、オムソバ。

ライター美緑

「出来たて!!美味しそう・・・すみません、早速いただきます!!」

焼きそばを中から取り出すと熱々の湯気が・・・最高ですな・・・

ライター美緑

「ん?ソース、結構あっさりですね~。量はあるけど、スッキリ食べられます!」

弘美さん

「はい、次どうぞ。」

ライター美緑

「わーい!!お好み焼き!!朝ごはん抜いてきて正解でした(笑)マヨネーズが、これでもかってくらい掛かってる(笑)いっただきまーす、2品目!!」

あ、自家製マヨネーズに卵のカケラが入ってる。

弘美さん

「カケラって(笑)ゆで卵ね。あと玉ねぎもみじん切りで入っとるよ。」

ライター美緑

「はー、タルタルですね~。自家製…ここでしか食べられない味だ!!お好み焼きソース、焼きそばのと全然味が違いますね!酸味が効いてる。お好み焼きも、しっかりした生地で、これだけでもお腹が満腹になりそう・・・。」

弘美さん

「あと日替わりやったね。」

・・・と、肉うどんを作る弘美さんに絶メシ調査隊スタッフが待ったを入れた!!

ライター美緑

「お母さん、今日の日替わり「肉豆腐」って書いてあるよ・・・。」

弘美さん

「うそ!?」

ってことで、急きょ、この日の肉豆腐は肉うどんとなりました(笑)いやーー、この肉うどんも最高だった!!最後に可愛いところが出ちゃった弘美さんです(笑)

満腹で大満足っ!!

終始、楽しそうに話す弘美さん。毒舌一本かと思いきや、お話をしている時のイキイキとした笑顔がとても印象的でした。お店には絵が飾られており、美大生が描いたものだそう。ひとつひとつのエピソードが全て心温まる思い出で出来ていて、お二人の人柄がにじみ出ていた。時代が変わっても、常に学生に愛され続けている「石橋屋」。ご夫婦にとっても、お客さんたちにとっても、思い出深いこのお店を「辞める」と言いながらもきっと大切に続けてくれると思います。

本当に楽しい時間と美味しい料理をありがとうございました!!

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